きょうも何かを忘れたようだ

一瞬を記録する場所

ドラマ「華政」(ファジョン)〜岩と卵の話

最近はU-nextの少し前のドラマを見るのにハマっています。この2カ月ほどをかけて見ていたのは2015年の韓国の歴史ドラマ「華政」(ファジョン) でした。

華政 - Google 検索

BS日テレのドラマ概要では以下のように内容を説明しています。

”16世紀朝鮮王朝時代、第14代王・宣祖の娘で唯一の嫡女であった貞明公主は、宣祖の死後、室の王子・光海君が即位するや都を追われ、賎民の暮らしを強いられる。生き延びるために死人として偽り、過酷な運命を辿らなければならなかった。

後に腐敗した第16代王・仁祖に最後まで屈しなかった鉄の王女、貞明公主の人生を描く”

日本の大河ドラマと同じくらいの分量で、65回と長いです。

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主な出演者が

  • チャ・スンウォン(私たちのブルース)
  • ソ・ガンジュン(天気がよければ会いにゆきます)

だったことで興味を持ってチラ見したのですが、序盤に出演した大好きな俳優、イ・ソンミン(ミセン/記憶/財閥家の末息子)

の名演と脚本に引き込まれて65回の長丁場を乗り切りました。

韓国の時代劇なので、身分の差・しきたりなどの表現があるのですが、脚本は「権力は何のためにあるのか」という大きな問いを視聴者に考えさせるエピソードになっています。その問いかけがあるので、時代劇を見ているはずなのに、現代の自分たちの目の前にある政治の姿や権力、自分たち(国民)の持つ力について考えさせてくれるのです。

 

卵はいつか鳥になる

このドラマをみていて思い出していた映画がありました。「弁護人」(2014年/ソン・ガンホ/イム・シワン)という映画です。

 

韓国では「岩をうがつ卵(卵で岩を打つ)」のたとえにあるように、通常「脆弱な存在が大きな権力に刃向かうことはムダで無謀」とされています。

 

この映画の中で、1980年代の民主化運動で政府に拘留された青年(イム・シワン)が「岩は固くても死んでいるけど、卵は生きている。卵はいつか鳥になって、岩を越えていくんです」と、弁護人のソンガンホに話すのですが、なぜか時代も状況も違うこの時代劇ドラマを見ながら、思い出されて仕方ありませんでした。(ちなみに、この「弁護人」で弁護士ソン・ガンホが法廷で叫ぶメッセージが、この「華政」の中心メッセージと同じだと思いました)

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ドラマの中でも「民のための権力」「深い闇、長く続くような極寒の中にあっても志を折らずに諦めるな」ということが、再三、リフレインされているからかもしれません。

そして、単純な善悪/敵味方の戦い・復讐ものになっていない点が秀逸な脚本につながっているように思いました。

復讐するべき敵である人なのに、その人なりの大義を理解していくプロセス、対話が丁寧に描かれているので「人間は変化うるし、理解し会える存在である」というメッセージを、脚本家は信じてこの作品を書いていることが伝わってきます。

 

長編ですが、飽きずに見られるドラマでした。Huluでも配信されているようです。

 

 

====イ・ソンミンさん演じる朝廷の官僚・漢陰のセリフ

 

「この世で善を貫くのは困難かもしれない。残酷なまでの冬の寒さがどんなに長く続こうとも、土の下では輝く新芽が必ず育っているように、おまえたちは決してこの世界で負けてはならない。今日の不義に屈することなく、明日の新たな世を信じろ。

人の意志は天の定めを変えると、イ・ジハムが言っていました私は信じているのです、人の力を

 

tvn/Netflix「二十五、二十一」 「永遠がない」痛みと奇跡を知る物語

ドラマ「二十五、二十一」のNetflix日韓同時配信が2022年4月2日夜に終了した。

(以下はネタバレがある感想となります)

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「政治は、神が与えたすべての苦痛に対する、人間の絶え間ない答え」この言葉が問いかけること

「サバイバー〜60日間の大統領」(2019年)

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今回完走したドラマは、アメリカの「サバイバー〜宿命の大統領」の韓国版リメイク「サバイバー〜60日間の大統領」。
アメリカ版のファンでシリーズすべてを見ていたのですが、韓国リメイク版はコンパクトながら「民主主義への信頼を失わない」という覚悟にも似た強いメッセージを込めた佳作に仕上がっていました。

北朝鮮に融和的な大統領が、国会議事堂爆破テロでほとんどの国会議員とともに謀殺される」というところから始まり、解任寸前の環境庁長官が代行に就任する状況設定はほぼ同じ。
ただ、その後の脱北者差別・韓国軍への支配を強めたい在韓米軍の思惑・軍事クーデター計画・大統領代行暗殺未遂などをはさみながら、ジェットコースターのように「テロ計画者」に近づいていくストーリーは、長編映画を見ている濃密さでした。
さまざまなエピソードを通じて表現されていたのは、国民に幻滅し、民主主義を疑い、暴力や恐怖による政治(支配)に誘われてしまった者に、どのように向かい合っていくのかという問い。


大統領代行を演じたチ・ジニは、学者あがりで権謀術数などにおよそ縁のない「良い人」として、ねじれている政治の世界の力学にほんろうされながらも信念を曲げない姿を熱演。ドラマの中にしか存在しないファンタジーのような人なのかもしれないが、だからこそ役者の身体をもって描かれることが必要だったように思う。

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大統領代行を演じたチ・ジニ

そして、決してイケメンではないが、味のある若い秘書官役を演じたソン・ソックが非常に良かった。熱情に突き動かされるところもあれば、抜けたユーモアとかわいらしさがある。
日本でいえば柄本佑系ですね。

 

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ソン・ソック。なんとも味わい深い雰囲気がある役者。首の傾きひとつ、語るものをもっている。



以下ほんの少しネタバレです。


最終回は、今の日本に生きる自分にも、日本の政治にとっても示唆ある言葉がてんこ盛りでしただが、そのうち2つだけ。


「試行錯誤はしますが、その過程を含めて歴史ではないでしょうか」

「政治は、神が与えたすべての苦痛に対する、人間の絶え間ない答えです」

こういう言葉が連続ドラマとして放送されるクオリティが本当にうらやましい。そしてこれを「面白い・すごい」と評価する人たちが日本にもいるんですよね。

このドラマを見て思い出したこと


ソン・ガンホとイム・シワンが共演した映画「弁護人」(盧武鉉大統領の弁護士時代がモデル)に、「岩は固くて死んでいるけど、卵は生きている。卵はいつか鳥になって、岩を越えていくのです」というセリフがありました。


ソン・ガンホ主演『弁護人』11/12より新宿シネマカリテほか全国順次公開



これは1930年代・日韓併合時代の京城(現ソウル)を舞台にしたドラマ「カクシタル」にも同じセリフがあったと記憶しています。独立を訴える朝鮮の女性が拷問を受けながらも、日本人警察官にこの言葉を放つのです。


岩のように強固な権力に比べれば、1人1人の存在や抵抗は卵のように壊れやすい。
ただ、あきらめずに試行錯誤を続けるしかない。その先にしか鳥は飛ばず、民主主義は実現できない。
こういう粘り強い強靱さを、変奏曲のように何度もリマインドする厚みが韓国のエンターテイメントにはありますね。


日本でも衆院選が今年あります。
「民主主義を諦めない」ことをインプットするには、お勧めのドラマです。



本は社会を変えることはできない/それでも本のような人になれ/ドラマ「ロマンスは別冊付録」が描く、言葉への愛

Netflixで視聴した「 #ロマンスは別冊付録 」は、タイトルが激甘で一瞬引きますが、出版社が舞台の「言葉の力」とその器である「本」と本づくりについてのドラマ

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主演のイ・ジョンソクはビジュアルを武器にしつつ、脚本に込められたメッセージを伝える演技巧者。

 

www.netflix.com

夏目漱石による「月が綺麗ですね」のエピソードも重要なモチーフになっています。

とにかくたくさんの詩が出てくる物語なのがまずよかった。
※追記
こちらのブログで紹介されているように、このドラマ制作の直前にジョンソクさんは詩集をつくるという経験をしている。

今回の詩集のために1年余りの時間の間秘密裏に準備をしてきたと聞きました。 いよいよ来週に本が世の中に出てくるが、感想はどうですか?
私のSNSにも所感を上げたが、このように本一冊が出てくるまで長い間の悩みと煩悩が必要だという事実を初めて悟りました。 このような過程を乗り越える著者の偉大さを感じたし、見えない所で本当に多くの方の努力が共にすることをもう一度知るようになりましたよ。 今回のプロジェクトを無事に完成することができるように助けてくれたナ・テジュ先生に最も感謝した心が大きいです。


https://ameblo.jp/ljs8/entry-12348008599.html

ameblo.jp


いち俳優の意見が、ドラマ制作に生かされるかどうかは定かではない。
けれど、真偽もわからない情報があふれかえる現状のなかで「詩の力を信じている役者」が、エンターテインメントとして「良書」への信頼とそれをつくろうとする人の情熱を主題にしたドラマに魂を吹き込んだであろうことは想像に難くない。

出版社を舞台に、言葉の力を信じ、その仕事の厳しさと尊さをエンタメ作品として昇華する脚本力と俳優陣の演技力に脱帽。

また、認知症の受容やブランクが空いてしまった専業主婦→シングルマザーの再就職の困難さ、売れない作家の苦しみ、使えない無鉄砲若手社員の成長など、サブテーマも充実。本のマーケティングなどの動きも面白く、それぞれ無理なくストーリーに取り入れられている。

このドラマに主演している俳優のイ・ジョンソク さんは、日本にはいないタイプのカッコよさ。

日本だと、佐藤健さんとちょうど同世代。
若手ですがその童顔とイケメンぶりに騙されてはいけない演技巧者だ。
(彼は脚本の選球眼に優れていて、ドラマにほとんどハズレがない)

子犬のようなビジュアルを利用して、硬派なメッセージを甘く伝える自分の役目を心得ている。

今回はネット時代に「本が売れなくなったこと」に直面した出版人の「良書を作り続ける価値とその仕事へのプライド」を、イチャコラシーンのコーティングの下に埋め込んでいます。

彼は、彼のビジュアルや甘いシーン目当てでドラマを見たいという人に、テーマの重要さを密やかに伝える「役者」に徹している。

犯罪被害者と冤罪、報道被害、ネット時代の創作者の苦悩など、彼の主演作は甘いレンアイシーンやファンタジーを外すと、社会が抱えている問題とその乗り越えをコンセプトにして、きっちり描いているドラマが多い。

この作品もタイトルが激甘で視聴に躊躇したのだが、人生と本についてゆっくりと考えたくなるドラマだった。
とりあえずエピソード8までは頑張って見てもらいたい。
私はこのエピソードと、最終回の老作家のモノローグを何度も見返している。

 

「自分以外の何者にもなれない」

好かれるために、わかったふりはしない。
大切なことは、たしかにみんな違う。

だからこそ言葉がある。
言葉だけでは尽くせぬリアルがあることも含んで
なおかつ
言葉を尽くそうとするところに、ひとは信を感じるんじゃないか?

感じた問いは発露する。
問いを
攻撃ととるのか
次を拓くための扉ととるのかで、
人の学びの深さは違ってくる。

拙かろうが、醜かろうが、装わないよ。
1人になろうと。
対話に嘘や忖度があると、魂は曇っていき、自分が嫌いな自分のできあがり。
そしてそれは
自分が関わる責任の放棄。

もう、そんなのはいやだよね。

嫌われるのが怖くないって、自由なこと。

自分らしく在って
挑んだことの
責任をとりながら

そこで出会う人と歩き出せばいいんじゃないかな。^_^

 

 

※これをフェイスブックに書いてから、しばらくして、「獣になれない私たち」

に、タイトルとしたセリフがでてきた。

 

人は、わざわざ自分から愛の名の下に、自分以外の者になろうとしてしまう。

 

それを徹底してすっ飛ばす自由な呉羽が言ったのが、タイトルにした言葉。

 

自分を粗末に扱ってごめんなさい。

カッコ悪いこと、美学を曲げたプロジェクトに自分のエネルギーを使ってしまった悔いは、学びとしよう。

 

https://realsound.jp/movie/2018/12/post-294972.html

引用================

「それでも人に支配される人生はごめんだ」となれば、何もかもを失う覚悟で、自分なりの正義を主張するしかない。きっと「自分を殺して、本当に死んでしまう」というのは、自分自身が自分で愛せなくなること。

自分以外の人生を歩めないのに、自分が自分を肯定できなければ、その人生は誰のものなのか。

空華に万行を修す~無常といふこと@禅フォーラム(横浜市鶴見区)

11月3日、鶴見大学会館(横浜市鶴見区)で開催された「第6回禅文化フォーラム」に参加した。
このフォーラムは、鶴見区内に多数ある禅寺などを地域資源として生かし、発信することで、多くの市民の幸福に寄与することを目的に2012年、総持寺鶴見大学などの関係者で設立された「シャル鶴見文化事業協議会」が主催している。

 

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同協議会は、JR鶴見駅ビル「シャル鶴見」を運営する株式会社横浜ステーシヨンビル(栗田勝社長、横浜市西区南幸1)が主体となって運営しており、このフォーラムは日本文化の魅力を発信する事業・活動「beyond2020プログラム」として認証されている。

プログラム内容は
1)基調講演
臨済宗 建長寺派 独園寺 藤尾聡允(ふじい・そういん)師 「海外からも注目を集める禅」


2)イス座禅
曹洞宗大本山 總持寺 布教今日株参禅室長 花和浩明(はなわ・こうめい)師

3)座談会
臨済宗建長寺派満願寺住職 永井宗直(ながい・そうちょく)師

曹洞宗大本山總持寺後堂 前川睦生(まえかわ・ぼくしょう)師

理に在宗圓覚寺派 浄智寺 住職 朝比奈恵温(あさひな・けいおん)師

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このフォーラムに参加したのは、前職の新聞社が後援しており、先輩からお誘いがあったからだ。
現在の仕事にも関係した話題でもあるが、「気づき」=マインドフルネス=というのは、今の私にとって、非常に重要な「生きる選択」に関わることでもあり、さまざまな迷いの中から「どのように自分を育てていこうか」と探索している最中でもあるので、個人として楽しみにもしていた。

プログラムそれぞれの場面で、それぞれのお坊さんの言葉がキラリと素敵だったのだが、座談会での永井さんの言葉がそのなかでもグッときた。
座禅の際の姿勢について「姿勢を正して、呼吸を整える」という話をしたのちに「ロダンの考える人、ってあるでしょ、彫刻の。あれ、あんまりいいこと思い浮かばないと思うんだよね」とバッサリ。

「無常ということ=すべて変化していくこと=が苦しいのですが」という会場からの質問について「松は古今の色無し/竹に上下の節無し」という言葉をまず引用して話し出す。


いつまでも変わらない緑をみせる常緑樹であり、長寿・繁栄の象徴する縁起物として扱われる「松」だが、実は「不変ではない。日々、変わっているのだ。今見ている色は、昔と変わらぬようでいて、昔から続いている色ではない」。
つまり「いまの自分がきのうの続きであるように人は錯覚している。けれども、瞬間瞬間、日々新たになっていることに着目せよ」ということ。


この質問の意図は「幸せが続かないこと、変化してしまうこと、今のよろこびが永遠ではないことが苦しい」ということだと類推する。

無常は苦しいことなのだろうか?
「変わっていくものをとどめることはできない」ということだけが、変わらぬ真実。
「仏教は変わることを恐れるなと説く」と永井さんは言う。

そして「常ならないことは、はかないこと。はかなさを悲しむとともに美しいと感じる感性を私たちは持っている。この感覚は素晴らしいのではないか」

変わりゆくことを受け入れ、はかなさを悲しむとともに、美しいと感じる…。

変わってしまったことはつらい。
幸せだった記憶があるほどに「そこに戻れないのか」と人は悶々とする。過去に執着する。
なぜ、人は思い通りにならない状況や人を悲しみ、恨むのか。
相手を思えず、自らの思いを強いるまでに執着するのか。
変わってしまうことが受け入れられない、許せない。
諦めることができない。
そうできたらいいのにと、願いながらもできない。

それ以外の選択ができない状況に自分で自分を追い込む。
ジタバタし、苦しみ続ける。醜い感情の発露に呆然としながら。
無常であることが無慈悲であるようにさえ思うのに。

けれども、悠然と、人の心情・執着になど一瞥することもなく、すべては変化し続けていく。

苦しむ、悲しむ、恨む…。
こんな強い感情が自らを圧倒していると、「はかないものを美しいと思う」という微細な感覚が麻痺してしまう。


けれど永井さんの投げかけに「そう、確かに一時しか生きられない花や虫、動物たちに、私は『だからこそ、愛おしい』という『はかなさゆえの美しさ』を感じる感性も持っていた」と、気づく。


続かなければ「意味がない」のか?
変わらないことが「価値があること」なのか?
変わってしまうことは「価値がないこと」「不幸でしかない」のか?


「それはあまりにも乱暴だろ」と気づく。

自分が無自覚に持ち、そして無自覚に自分を痛めつけていた価値観に揺さぶりをかけられる。


「変わってしまうことが苦しい」と感じる時、わたしは「変わらないことに価値がある/幸せだ」という、単一の視点に絡め取られている。

懸命に咲いて、散ってしまい、腐っていく花。

「美しく咲いた時にしか価値がない」という視点しか持てないのであれば、私たちはなんと世界を貧しくしか感覚できないのだろう。

 腐った花が豊かな土となり、また、新しい種を発芽させるエネルギーになっていく循環を私は知っているのに。


 自分のなかに、もっと微細にものごとをとらえる感覚・感性が育てば「続かなかったこと」「常ならぬこと」そのもののを「価値がない」ことではなく、美しさやありがたさ、豊かさそのものとしてとらえることもできたはずだ。

 そして、これからの起こることならば、なおさら「可能性はあるはず」だ。

そして「変わることは救い」でもあって、私はその恩恵にも浴してきた。

 


 そののちに永井さんは
水月道場に座し 空華(くうが)に万行を修す」という禅語を紹介してくれた。

 永井さんによると
水月道場とは、実態のない、思い通りにならない混沌としたこの世」のこと。
「空華」は仏教用語で「煩悩(ぼんのう)にとらわれた人が、本来実在しないものをあるかのように思ってそれにとらわれること。病みかすんだ目で虚空を見ると花があるように見えることにたとえたもの」(デジタル大辞泉)。

 永井さんは「答えの出ない、実態のないとらわれに向かい、人は”スッキリした答え”を求めてしまう。混沌の中に答えを出そうと苦しむ。”万行に修す”とは、そうした混沌に迷いながらも、目の前のことを全力でやれ、ということ」と、この言葉の解釈を披瀝した。

 そして、あふれ過ぎる情報に頼り、自分自身の頭で「本当に何をしたいのか、すべきなのか」を考えずに他=外側=に答えを探す・情報を取ろうとする姿勢が、焦りを生み出している現状にも言及していた。


 自分の魂が求めることを、いくらネットの海の中に探しても答えは出ない。
「誰かに評価されるから」「いま、話題になっているから」という視点で現実を創造していっても、自分の魂が曇るだけ。
 



ありがたい縁が運んできた、自分と対話するための有り難い時間。

 

「幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない: マインドフルネスから生まれた心理療法ACT入門 」読んだら今までの日常が深く問われてしまうような本

 マインドフルネスは、もう食傷気味なのだがこれは日本向けなのだろう。

 原題は「Happiness Trap~How to Stop Struggling and Start Living」。

幸福の罠。

ACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)の具体的なプロセスについて、また、その先にある「どう生きることが幸福なのか」という問いとともに、生きる価値について考えるワークもできる内容になっている。

 


 しばしばわたくしは
「感情的である」
「感情をコントロールせよ」

という指摘に苦しんできた。でも自分のなかのネガティブなストーリーが一人歩きし始めると、自動的に反応してしまう。そういうの、わたしだけかな。


 で、もろもろ、関係を悪くしてしまう。

『感情的になるの、やめてほしい』という指摘は最もで、周りに迷惑をかけてきたと思う。

 

 確かに「平和でありたいと」自分自身、願うのだがコントールに何度も失敗すると「できたらやってますよ」「また、失敗しました。どうせ、私は感情的で、ひどいやつです」と、グレたようになってしまう。

 諦めと無価値感と自己嫌悪。

 そんなふうに頭の中の思考で、さらに自分を苦しめてきた。

 

 私のように二次的・三次的に罪悪感や自己嫌悪を持ってしまっているこじれた人にこの本をお勧めしたい。

 もともと「ネガティブなことを徹底的に考えることが職業だったせいなのか?」と、この思考回路は治らないと絶望していたが、この本によると「そもそもヒトはネガティブなことを考えることがデフォルト」という内容が書いてあって、そこがまず救われた。「人生は痛みを伴うというのが現実だ」という認識は、とても仏教的でもある。

 さらに「豊かな、満ち足りた、意味ある人生」という幸福を、どのように目指していくのかという航海において、著者はこうした意味での幸福を目指す人生は同時に「不快な感覚、悲しみ、恐れ、怒りなども引き起こす。これはある意味当然で、人生を目一杯生きようとしたらあらゆる種類の人間感情を味わうことになる」と指摘していて、ここの私は救われたなあ。

 憎しみや嫉妬、劣等感も懸命に生きていたら浮かんでくることもあるし「それを止める(コントロールする)ことはできない」のだ。さらにいうと、コントロールする戦略は常に敗北するのだと。

ACTは、コントロール戦略ではなく「アクセプタンス」(受け入れる)戦略を採る。

この本の前半は、その「受け入れること」、苦しみを減らすスキルとその理由が述べられている。

 ACTは、

1)脱フュージョン

2)受容(アクセプタンス)または拡張
3)接続~いまこの瞬間との接続

4)観察する自己

5)価値の確認

6)目標に向かっての行動

 というプロセスをたどる。


このプロセスは、1日、何千ものわきおこる感情や思考を扱うため、終わりはない。瞬間瞬間の気づきと脱フュージョン。そして受容を繰り返す。

「これは、感情をコントロールするスキルではない」と著者は何度も警告する。
あくまでも、ネガティブな思考や感情に対して「そこにいてもいいよ」とあるがままにさせておく術なのだ。闘ってもがいたり、避けて逃げるとその思考は何度も立ち現れる。

 受け入れて、「ネガティブな思考にも居場所をつくってあげる」こと。闘わない。その目的は「闘うことではなく、真にあなたにとって有益な行動に時間とエネルギーを注ぎ込むこと」だと繰り返す。

 

 そのとき重要なのが(5)の「価値の確認」だ。ここを掘り下げておかないと、わたしたちは「どこに向かって航海したいのかがわからない」難破船になる。

 

 この価値の確認についてはまだ、ちゃんとワークをしていないのだが、没頭してやったら、人生が変わってしまうかもしれないと思い、実は怖い。

 

でも、私にとってこの本でまず、向き合いたいのはこの第3章「生きるに値する人生を創造する」かな。

■価値とは何か。

・心の中のもっとも深い欲望、何になりたいか、どんなものを支持したいか、世界とどのように関わりたいか。

・人生を通して私たちを導き動機づける主要な原理

・そして自分自身とどのように関わりたいのか。

「心の最も深い部分からくる欲求」なのだ。(p203~204)

 

 

「自分の感情と闘ったり、恐怖を避けたりしなければ、それに使っていた時間とエネルギーを何に注ぎ込むだろうか?」という問いもある。(痛い)

 

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3分の2まで読んで、取り急ぎメモ。また、読了後に感想書きます。