きょうも何かを忘れたようだ

一瞬を記録する場所

2017年 真夏の時空

丸坊主くんたちが横浜公園に集結している。
強い日射し。
もう梅雨明けしたのだろうか。
2017年の夏が始まる。
 
真夏の日射しと暑さ、揺らめきは、時から切り離された場をつくる。
いま・ここしかないと強烈に感じる時空が、真夏の一瞬にはある。
 
何があったとしても、時は流れていく。
私は、誰といるかを選択してきた。
あなたも、誰といるのかを選択してきた。


そして、いままだ、ここにこうしている。



相手を所有したい思いを認めること。
でも、私はあなたではない。あなたは私ではないということを
悲しみをもってしか認められないのかというどうにもならなさが私にはあるのだ。


他者がちがうからこそ、救いなのに
同じにならないことに苦しさを感じている矛盾。

他者のなかに、私の満足はないのだということにもう気づけ。

私の満足は私しか知らない。
「そこにあなたがいてくれたらうれしいけれど、あなたがいなければうれしくない」というふうになってしまっていることはどういうことなのか。
 
「あなた」は所有できないから、いずれどこかに行く。死の旅路も含めて。


生きている限りとどめていくことはできない。
わたしもまた、流れているエネルギーなのだからとどまることはない。


だとしたら今。
 
「今、ここに、あなたといることの奇跡を祝え」。

きのうソーヤ海さんが言ったこと。
 
パートナーでも親子でも友人でも。
所有しようとする関係で苦しみ、鬱になってしまったソーヤさんが目指したベクトル。
 
祝う。
寿ぐ。
私はわたしがただいることを祝えているだろうか。

あなたを大切に思っているよと
私に言えているだろうか。


言えないとしたらなぜなの。
なぜ、そんなに厳しいの。

そんな対話を少しずつしてみる。
真夏の時空のなかで。