式年遷宮とは「神宮には内宮にも外宮にもそれぞれ東と西に同じ広さの敷地があり、式年遷宮は20年に一度宮地みやどころを改め、古例のままにご社殿やご神宝をはじめ全てを新しくして、大御神に神殿へお遷りいただく神宮最大のお祭り」を指す。
2017年7月8日・9日に、BankART Studio NYK(横浜市中区海岸通)で行われた「鋼鉄のオペラ〜芸術結社モーツァルテ△ユーゲント秘密集会」(主催・鋼鉄のオペラ製作委員会)を両日見た。
2日間、この舞台を体感して、私はこの時空を「式年遷宮だ」と感じたのだ。
谷崎テトラ、ジャン・ピエール・テンシン、松蔭浩之のPBCオリジナルメンバーと、彼等が大阪芸術大学学生だった時の恩師である室井尚・横浜国立大学教授が中心になって今年初めから準備を進めてきた。
2016/6/11 “PBC+”再結成ライブ@京浜島“BUCKLE KOBO”
2016年、もうひとつの未来。
人間がすでに人間としてのこころをもたなくなっている時代。
世界はかつての人間の記憶をベースにつくられたレプリカントたちによって運営されている。
「GOD」とよばれるAIによって世界は統治されている。
かつての「国家」はなく、宗教や民族の「共同体」に分断され、
残された人類は、互いの憎悪のなかで生き延びている。
https://pbc2016.wixsite.com/pbc2016/story
今回の「鋼鉄のオペラ」は30年前の作品を再構成・再演する試みだった。オリジナルメンバーに加え、ゲストにソプラノの岩崎園子を迎え、室井教授の現在の教え子たちである横浜国大の学生30人近くが出演・製作に関わって2017年の時空を創りだした。この時空・提示されたコンセプトをどう受け取るのかは、もちろん各自の自由だ。
「エクソダス (Exodus).を可能にするアクションが何であるのか?」を考えるにあたっても、私が感じたのは冒頭のこと。
「これは『脱情報化社会の向こうに行きたい』と、もがく者たちの式年遷宮だ」。
「30年前の若者」が、2017年に今の若者にそのプロセス・その技術・そのコンセプトをつくることの全てを「なぞらせること」で、からだごと・まるごと継承しようとしている試みだったのではないか。
では。何が、継承されたのか。
1986年、インターネットはまだ「みんなのもの」ではなかった。
2017年、インターネットはスマートフォンの普及と相まって、個人が縦横につながり、個の発信が社会に大きな影響を与える基盤となり、空気のようなものになっている。
例えばスマートフォンカメラでの写真撮影が可能だったライブは、非日常空間にどうしても日常を持ち込んでしまう。
暗転は闇になり切れず、後ろに座った者は、前に座る者のスマートフォンの画面のプレイヤーと、リアルなプレイヤーの2つを見つめながら、場にいる。
「気が散ることから、逃れることができない」常時接続の私たちを意識せざるを得ない。
「目撃したら”すぐに”発信することで存在する」私たちは、目撃者でいる限り「いま・ここ」を感じ尽くすことから疎外される社会に生きてしまっているのかもしれない。
それでは、この時空で誰が、最も音と一体化し、瞬間を生きていたか。
それは、舞台に立つPBCのメンバーであり、ソプラノの岩崎園子であり、鋼鉄音楽集団・アイゼンシュタイン合唱団・未未来派舞踏集団ソラリス・ベッチンアンダーグラウンドであり、爆竹の佐藤伸太郎であり、この舞台をつくったスタッフである。
舞台に主体的に関わった者たちである。
虚空を見つめて、無心にドラム缶を打撃し続け、ギターをかき鳴らし、声を張り上げていた若者たちは、言葉ではなく、教室で教え「られる」ことではなく、「ひたすらにいまここで行為することだけが、次の創造を拓いていく」ことを体を持って「学んだ」のだ。
「式年遷宮だ」と私が思ったのは、この「鋼鉄のオペラ」自体が、創造することについての1つの「継承の儀式」だと感じたからだ。
そしてそれはもちろん、学生たちだけに向けられたメッセージではないだろう。
目撃者でいることに留まってはいないか。
発信することだけに気を取られてはいないか。
わたしはわたしの舞台で、瞬間瞬間に硬く・強い音を打ち鳴らしているか。
インフォエイジの陥穽を越えていくためのスタイルを、模索すること。
「あなたの仕事のなかできょう受け取ったことをアクションにつなげてほしい」。
公演後の谷崎テトラのこの言葉は、私に深く突き刺さっている。